●元モーニング娘。2期生の紹介です●
●2期生●
第1回追加メンバーとして1998年5月に、
(保田 圭・矢口 真里・市井 紗耶香)の3名が加入した。
●保田 圭●・・・1980年12月6日生まれ
・千葉県富津市出身・血液型A型
・愛称:けーちゃん、ケメコ、ケメちゃん、ヤス、ヤスス、おばちゃん、圭ぼう、サブちゃん など。
〈モーニング娘。〉の第2期メンバー(1998年5月)。
福田明日香の〈モーニング娘。〉卒業(1999年4月)後は、その歌のパートをしっかり受け継ぎ、中澤裕子卒業(2001年4月)後にはサブ・リーダーに。2代目リーダー飯田圭織を支える。
安定感のあるボーカルとキレのあるダンスで、しっかりと場を引き締める存在。
また、エレクトーン、アルト・サックスの演奏もこなす。
「Going My Way」を座右の銘に、堅実な言動で周囲に安心感を与える。
当初はテレビやラジオでのトーク面で、なかなか目立てなかったが、次第にトークでも個性が出てきた。
しかし、〈圭ちゃん〉の魅力は、やはりライブ・パフォーマンスに止めを刺す。
練習熱心なことは他のメンバーも認めるところで、その実力は、ステージの上でこそ最も発揮される。
またプッチモニ誕生時からのメンバーとして活躍した。
2002年2月22日、ソロ写真集「Kei」を発売。
2002年7月31日に行われたハロプロ組み替え会議の席上、2003年春のコンサートツアーを最後にモーニング娘。を卒業し、ソロ活動に専念することを発表。それ以降はハロー!プロジェクトのサブ・リーダーとして、リーダーである中澤裕子を補佐していく予定。
2003年5月5日に行われた『モーニング娘。CONCERT TOUR 2003春 NON STOP!』公演で卒業した。
――2003年の個人的な野望をひとつ教えて!
「仕事的なことはねー、変わらずに『保田圭』でいられるのが目標かな。プライベートはね、私、人間大好きだから、沢山の人と会いたい!!」(「TVガイド」2003.2.15>>2.21)
●矢口 真里●・・・1983年1月20日生まれ
・神奈川県横浜市出身・血液型A型
・愛称:やぐっつぁん、まりっぺ、矢口、矢口さん、やぐ、やぐっち、 など
〈モーニング娘。〉の第2期メンバー(1998年5月)。
身長145cmと小柄ながら、伸びる高音と絶えない笑顔でムードメイカー的存在。「純粋な心(ハート)」が座右の銘。
初のグループ内ユニット「タンポポ」にも参加、また、自らが発案し結成したユニット「ミニモニ。」のリーダーとして大成功を納めたほか、「ハロプロキッズ」を起用した新ユニット「ZYX」や、セクシー系ユニット「ROMANS」などに参加した。
2002年2月20日にリリースした14thシングル「そうだ! We're ALIVE」では、初のセンターを務める。
石黒彩、飯田圭織とともにタンポポ誕生時からのメンバーとしても活躍。
「モーニング娘。」の中にあって、数少ない「喋れるメンバー」として、ラジオ番組のパーソナリティーを務めるなど、個人での活動も盛ん。
2002年2月6日に写真集「ヤグチ」を発売。
2002年7月31日に行われたハロプロ組み替え会議の席上、タンポポ及び〈ミニモニ。〉からの卒業が発表された。
●ミニモニ。●
身長150cm以下ユニット〈ミニモニ。〉を結成し、初代リーダーに。
メンバーは辻希美、加護亜依、そして〈ココナッツ娘。〉のミカ。
保田の卒業に伴い、サブリーダーとしてリーダーのサポートを行ってきたが、2005年1月、飯田の卒業に伴い3代目リーダーに就任した。
ところが、同年4月、俳優「小栗旬」との交際を写真誌フライデーにスクープされ、引責辞任というカタチで、4月14日付けで「モーニング娘。」を去ることとなりました。
突然の脱退となってしまったため、卒業公演も行われない寂しい脱退となってしまいました。
ラストライブは、2005年4月10日に大阪厚生年金会館大ホールで行なわれた『モーニング娘。コンサートツアー2005春〜第六感 ヒット満開!〜公演です。
本来なら、2006年5月7日にさいたまスーパーアリーナで行われる、『モーニング娘。コンサートツアー2006 春 〜レインボーセブン〜』公演で卒業の予定だったのではないかと思います。
2期生の保田圭と同じ会場で卒業させてあげようと事務所がこの会場を用意していたんじゃないかと勝手な想像をしてしまいます、そうでなければ今春こんなに大きな会場を使う意味があまりないと思うからです。
突然の脱退がなければ、5月7日は矢口にとってもファンにとっても素晴らしい公演になること間違いなかっただけに残念です。
リーダー就任後わが2か月半という異例の事態にファンからは困惑の声が聞かれましたが、自らの進退によりケジメを付けた形にはなっていますが、当初は事務所との確執が心配されていました。
しかしながら、ソロとして活動を再開するや否や、怒濤のごとく各バラエティ番組に出演を果たし、モーニング娘。史上最強のタレント性を遺憾なく発揮している感じです。
――2003年の個人的な野望をひとつ教えて!
「やった事のない事に1つずつ挑戦して、勉強して自分の身につけたいです!! もっと人間的に大きな人になれたらいいな★★★ ちょっとずつ…」(「TVガイド」2003.2.15>>2.21)
●市井 紗耶香●・・・1983年12月31日生まれ
・千葉県船橋市出身・血液型:A型
・愛称:さやか、さやりん、かあさん、いちーちゃん など
〈モーニング娘。〉の第2期メンバー(1998年5月)。
その表現力とダンスで次第に存在感を示す。
後藤真希の加入(1999年8月)と同時に、その教育係としての役割を見事に果たす。
加入後しばらくは目立たない存在だったが、『真夏の光線』あたりからめきめきと頭角を現し、初のハロプロシャッフルユニット、青色7『青いスポーツカーの男』でセンターポジションを務め、『LOVEマシーン』以降、大ブレークした。
また、保田圭、後藤真希とともに3人組ユニットプッチモニを結成し、デビューシングル「ちょこっとLOVE」を発売(1999年11月25日)。オリコン初登場1位、ミリオン・セラーと大活躍した。
しかし、そんな絶頂期にシンガーソングライターを目指して充電、勉強をするためモーニング娘。から卒業を発表する。
2000年5月18日に日本武道館で行われた『モーニング娘。ライブ 初の武道館 〜ダンシング ラブ サイト 2000 春〜』公演で卒業した。
再デビューに先駆けて2001年11月29日、フォークの名曲カバーアルバム「FOLK SONGS」に、中澤裕子と共に、ボーカリストとして参加。
翌2002年4月24日、シャ乱Q・たいせープロデュースでユニットを組み「市井紗耶香 in CUBIC-CROSS」として、シングル「人生がもう始まってる」をリリースし再デビュー。c/wの「空」の作詞を手がけるなど、夢であるシンガーソングライターへの道を着実に歩む。
シングル4枚、アルバム1枚を発表後、2003年9月には、初のソロシングルとなる『4U〜ひたすら〜』をリリースしたが、2003年11月9日、突然の芸能界引退が公表され、同日をもってユニットも解散した。
現在は結婚して主婦をしている。
――再デビューシングル「人生がもう始まってる」について
「詞の内容も自分に合ってるし、私しか歌えないと思うんです。自分がアーティストと呼ばれるようになるには今頑張らなきゃいけないですから」(「weekly oricon」2002 4/29)